東日本大震災津波伝承館の見学を終えるとすでに午後1時を過ぎていた。
3000日目を過ぎた被災地の日常風景を撮影してきた旅も、いよいよ終盤を迎える。お昼も簡単に済ませようと気仙沼へ戻り内湾の気仙沼生鮮館「やまひろ」で刺身とおにぎりを買い、ベンチで頬張った。
そして慌ただしく仙台への帰路を急ぐ。
13 定禅寺通
せんだいメディアテーク
この旅の最後に、僕はどうしても撮影をしたいカットがあった。午後4時30分。
待ち合わせ場所の「せんだいメディアテーク」へと到着。
建物に面した杜の都仙台を象徴する定禅寺通の並木道で2人の男女を撮影する。仙台市荒浜出身の音楽家であるNami Sato(佐藤那美)さんと、映像配信や震災アーカイブなどを手掛ける濱田直樹くんを、この旅の最後となるフレームの中におさめたかった。
「一緒に撮影される機会ってこれまでなかったから新鮮!」
と言って那美さんと濱田くんが笑い合う。
那美さんは2019年にNami Sato(佐藤那美)名義でアンビエントアルバム『OUR MAP HERE』を発表。
同作は、ロンドンのレーベル「The Ambient Zone」からリリースされた。
この作品は、2016年に「せんだい 3.11 メモリアル交流館」にて開催された企画展「みんなでつくるここの地図」のために制作された作品で、津波被災を受けた仙台市の集落を那美さん自身が機材を持って歩き回り、各集落の方々の協力を得ながら、フィールドレコーディングを行った音源をベースにして作られた5曲が収録されている。
ダンスミュージックだけではなく、アンビエントのフィールドでも活動しているヒロシさんは、この旅の最後に音楽家同士の話ができる事をとても楽しみにしていた。「せんだいメディアテーク」内のカフェにてヒロシさんと那美さんとのトークセッションが始まった。ヒロシさんは、デリック・メイが主催するデトロイトテクノの名門レーベルである『トランスマット』から作品をリリースしている。また、那美さんはドイツ・ベルリンで開催された「Red Bull Music Academy 2018 Berlin」に日本代表として参加し、同じくデトロイトテクノの雄『アンダーグランド・レジスタンス』のマッド・マイクから「君は君の街で君の文化と君の音楽をつくれ!」というメッセージとレクチャーを受けた。デトロイトテクノのオリジネーターとも縁が深いという共通項を持つ、音楽家2人のクロストークから何かが浮かびあがってくる様な気がした。
最初は自分も会話の外で聞き耳を立てていたが、音楽家同士の会話は、セッションをしているかの様な静かな熱を帯びてくる。なんだか、この会話を外野から聞き続けるのが野暮に思えて、僕は長年の友人でもある濱田くんに10年前の事を聞いた。
「GAGLEのハンガーさんのレーベル『松竹梅レコーズ』の運営を手伝いながら、家族が経営をしているコンビニの新店の店長も兼任していた時期でした。3月11日の時は、ちょうど勤務していて在庫がなくなるまでお店を開けていましたよ。停電中でレジも使えなくなっていたので、店を一度閉めようと思うタイミングがくると続々と人が並び始めるし。本当に大変でした。震災後は『うぶこえプロジェクト』という、音楽文化を活用した復興支援プロジェクトを運営して。後にそれが縁となって、仙台メディアテークのスタッフにもなりました。それはちょうど震災から2年が経過した頃かな?そこからカメラを持って荒浜に通う様になって。それまでは本格的にカメラを持つ事もなかったんだけど、荒浜の記録は仙台市出身の自分がとらなければ。そんな使命感もどこかにあったのかな。そして荒浜で那美ちゃんとも出会い、制作やマネージメントのサポートもする事にもなって。こうやって振り返ってみると、震災がきっかけで色々と自分がやっている事も変わりましたね。まさかカメラを持って仕事しているとは想像もしていなかったなー」
那美さんと濱田くんの2人は仙台市沿岸部の町、荒浜で過ごしてきた経験やトピックを基軸にした楽曲制作をはじめ、記録映像の発信などを続けてきた。2人の創作活動を、復興支援や被災地というキーワードの文脈だけで括って伝える事に何か違和感もあった。震災という出来事を真正面から捉え続けてきた2人だからこそ、コロナ禍が過ぎた先にもっと普遍的で大切な何かをつくるのではないか?漠然とではあるがそんな予感がする。音楽家同士のトークセッションは盛り上がり続けているけれど残念ながらヒロシさんが帰京する時間が近づいてきた。
僕らは記念撮影をしてまたの再会を誓いながら仙台駅へと向かった。
14 JR仙台駅 2020/0830/PM6:45
東日本大震災から3459日、3460日目が経過した宮城県南三陸町、気仙沼市、仙台市、岩手県陸前高田市を撮影した旅が終った。JR仙台駅構内は前日同様、やはり人影もまばらだ。例年であればお土産を抱えた家族連れで賑わうコンコースの風景もない。
ヒロシさんが切符を買いに行く間に昨年の12月に駅構内にオープンした「及善かまぼこ 仙台駅店」にて「リアスの秘伝」をお土産として買い、手渡した。「次の目標は4000日目の撮影だね」とヒロシさんが笑顔で応える。
4000日目を迎えるのは、2022年2月21日。再来年?あっという間だ。
そして2021年3月11日には震災から10年という1つの節目となるPhaseを迎える。この10年間で熊本や北海道でも大きな地震がおき、毎年の様に全国各地で台風や長雨による大きな水害も発生した。どこに住んでいるから安心という事はない。報道は少なくなっているが全国各地で被災して、まだ仮設住宅で暮らす人がいる。いつ終息するのが見えてこない新型コロナウイルス感染症と人類との闘いも続く。
2020年という年は後世ではどう語りつがれていくのだろうか?
「4000日目が見えたら、5000日目も見えてくるね!その時までお互いに頑張ろう!由布子さん、ヒロキくん、今回もありがとうございました!また元気で会おうね!」
挨拶を交わしヒロシさんは新幹線の改札口へと向かう。
東日本大震災からのタイムライン
1000日目 2013年12月05日
2000日目 2016年08月31日
3000日目 2019年05月28日
4000日目 2022年02月21日
5000日目 2024年11月17日
6000日目 2027年08月14日
7000日目 2030年05月10日
8000日目 2033年02月03日
9000日目 2035年10月31日
10000日目 2038年07月27日
どこまで僕達がこのアーカイブを続けていけるのかは、今の時点では全く予測もつかない。ただ、どんなに困難な状況であっても前を向いてゆく人々による日々の営みがあり続ける限り、諦める事無く、自分達も全力で走り続けたい。そんな気持ちと決意を持った3000Daysの撮影だった。
Late summer EP/kaito
https://hiroshiwatanabe.bandcamp.com/album/late-summer-ep
PHOTO:HIROSHI WATANABE a.k.a KAITO
TEXT:HIROKI SATO a.k.a STILL BLUE
Proofread: YUKO “kiririn”SAITO
After 1000 Daysは、
1000日ごとに東日本大震災の被災地で「ひと・なりわい・いとなみ」を記録しアーカイブを発信してゆくプロジェクト。
〈これまでのアーカイブ〉
・2013年11月23日(989日目) 撮影地:南三陸町
・2016年12月28~29日(2120~2121日目) 撮影地:気仙沼市、南三陸町
After 1000 Days1
http://tinybalance.main.jp/after1000days
After 1000 Days2
制作チームメンバー
*ヒロシ・ワタナベ 世界を舞台に活躍する音楽家/DJ/フォトグラファー
*佐藤 大樹 一般社団法人IKI ZENクリエイティブディレクター/エディター
*齋藤 由布子 一般社団法人IKI ZEN フードコーディネーター/管理栄養士
After 1000 Days
制作:一般社団法人 IKI ZEN
〒980-0023 宮城県仙台市青葉区北目町4-7 HSGビル3F月〜金 : 9:30AM - 6:30PMTEL/FAX 022-226-8748